ジム福居です。
12月に入って少しずつ、朝布団から出るのが辛くなってきましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
12月といえば・・・
2年前の今頃、私は病院のベッドにいました。
というのも、頚椎椎間板ヘルニアの手術をするため、故郷・松山の赤十字病院に入院していたからです。
手術は2年前の11月28日に行われました。
私の頚椎はカタかったらしく削るのに大変手間取って、4~5時間で手術を終える予定が結局7時間以上かかったと、先生が後におっしゃっていました。
もちろん私は全身麻酔で眠っていたので、そんなに時間がかかったとは露知らず、麻酔が覚めた時には10分くらいぐっすり居眠りをした後のように、とても気持ちよく目覚めたのを覚えています。
13時過ぎに手術室に入って、病室に戻って時間を確かめたら22時頃だったのでとても驚きました。
当然頭を動かすことは禁じられていて、寝たきりのままずっと天井とにらめっこ状態でした。
その日の夜は一睡もできませんでした。
傍らでずっと看病してくれていた母親も同様で、一睡もとれなかったようです。
午前4時すぎに看護師さんが病室に来て水を飲むことのOKを出してくれた時には、飛び上がるほど嬉しかったです。
もちろん飛び上がることはできませんでしたが・・・^_^;
夜中に飲んだ、手術明け一口めの水の美味しさは忘れられません。
翌29日は母親の誕生日でした。
何時頃だったでしょうか、姉と姪っ子2人が遊びに病室に来てくれました。
そして、私のベッドの横で母親の誕生パーティーが始まりました。
私の最大の癒しである当時1歳の姪っ子の顔を見たくて、また姉から母へのプレゼントを見たくてたまらなかったのですが、手術翌日の私はまだ天井とにらめっこが続いていたので、目玉だけを一生懸命横へ動かしてどうにか見ようとしました。
あんなに目玉を力いっぱい動かすことは、これから先もそんなにないことでしょう。
恐らく姉としては、手術翌日で辛い私に気を遣ってみんなで楽しくやったりケーキを食べたりすることを、もしかするとためらったかもしれません。
でも一方で、そうすることで少しでも私の辛さが和らげたら、と考えてあえて来てくれたのだろうと思います。
結局は姪っ子の顔もプレゼントも見ることはままならず、ケーキを食べることもできなかった私ですが、でも実際、ああやって病室でみんなで楽しい時間を過ごして、私はとても楽しかったしとても癒されたし、そしてとても助けられました。
母の支えと姉の思いやりには、今でも深く感謝しています。
家族の支えって、やっぱり大きいですね。
一生忘れられない母の誕生日となりました。
入院生活はそれから3週間続き、退院後1ヶ月は実家で静養に努めることになります。
その間本当にいろいろなことがありましたが、それをここで全部書いているとキリがないので、またの機会にしようと思います。
では、また(^_^)/~
ジム福居でした。