私の大学野球

ジム福居です。

今回は大学時代のお話をしたいと思います。

私は大学で準硬式野球部に所属していました。
みなさんは「準硬式野球」というものをご存知ですか?
プロ野球や甲子園の高校野球などで使われているボールは、中心にあるコルクを糸で何重にもぐるぐる巻きにしたものの表面に革をかぶせています。これが硬式野球のボールです。
準硬式野球は、中身がコルクに糸を巻いたものであることは硬式と変わりませんが、表面には革ではなく分厚いゴムがかぶせられているボールを使用します。
私は、この準硬式野球をしていました。
ポジションはキャッチャー。

入部当初は、リーグの3部と4部を行ったり来たりの弱いチームでした。
2年生の時に、東京の神宮球場で行われた春のリーグ開会式に出た私たちの代のチームメイトは、神宮球場の綺麗さに感動を覚え、一様に「神宮でやろうや」と口を揃えて言いました。
私たちが所属していたリーグでは、1年にたった1回、春のリーグ1部の開幕戦1試合のみ、神宮球場で試合が行われるのでした。
つまり、当時4部だった私たちが神宮球場で試合を行うためには、4部・3部・2部でそれぞれリーグ優勝と入れ替え戦を勝って1部へ昇格しなければなりませんでした。
もう2年生だったので、2年春・秋、3年春・秋の4回のリーグ戦のうち3回優勝して4年の春に1部に所属していなければ神宮球場ではできません。かなりの難題でした。
しかし私たちは、それこそ本気で神宮でやろうと思っていました。

私たちのクラブには指導者がいませんでした。
顧問の先生は名ばかりで、キャプテンが練習内容も試合のメンバーも試合中のサインもすべて決める、いわば学生主導のクラブでした。

ですから、時には選手同士の衝突もあり紆余曲折もありましたが、それでも神宮球場で試合をするという目標はブレることがありませんでした。

この目標を掲げた時から私たちは意識も高く練習と試合に臨みました。
メンバーの中に甲子園出場者はいませんでしたが、名門といわれる高校出身の者も、高校で名を馳せドラフト候補に名前が挙がっていた者も、高校時代に県のベストナインに選ばれた者もおり、選手の質・量ともに揃っていました。

結果的に、2年春4部・3年春3部・3年秋2部でそれぞれ優勝し、入れ替え戦も勝ち抜いて、4年春に昇格をして念願だった神宮球場での試合を行うことができました。
挑戦する前から無理だと決めつけてあきらめるのではなく、本気で目標に立ち向かえばそれは叶えられることを、身をもって学ぶことができた経験でした。

その仲間とは今でも連絡を取り合い、良い関係を続けられています。
こんな経験をともにした仲間たち、これからも大切にしたいですね。

ジム福居でした。



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